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ウィルソン・ラリン 

シーズンオフの間にやってまえ!の選手紹介シリーズ、
今回は、このシーズンからスチテペケスでCBとしてプレー、
U-23代表でもCBとして活躍したのみならず、
北京オリンピック中米予選のコスタリカ戦では先制ゴールも決めた
ウィルソン・クレメンテ・ラリン・サルバティエラ(Wilson Clemente Lalín Salvatierra)です。


出身はレタルレウ県レタルレウ市のカントン・パシャクで、
1985年5月3日生まれ。


父親のクレメンテ・ラリンは80年代にスチテペケス、
後にフベントゥ・レタルテカ(Juventud Retalteca、2部)でプレーしたことのある選手。
母方では、叔父のエドゥアルド・サルバティエラがレタルテカのMF、
同じく叔父のフランシスコ・サルバティエラもレタルテカのDFだったりと、
結構なサッカー一族の家系なのでありました。


とは言え。プロ選手になるまでの道は容易ではなかったようで。
9歳の頃、地元のスタジアムでレタルテカの試合がある時に球拾いなどしてたそうです。
その頃から夢は将来プロのサッカー選手になること。
「シェラフかスチテペケスでプレーできるといいな、と思ってた」。


そんなウィルソン少年が通りで球蹴りしているのを見て、
スカウトしたのがセグンダ(3部)のデポルティーボ・マキナのシレール監督。
これがどうやら2003年のことらしい。
マキナではFWとしてプレー、2004年にはセグンダの得点王にもなっています。


その活躍がプリメーラ(2部)のフベントゥ・レタルテカの
オルランド・ペラルタ監督の目に留まり、レタルテカに移籍。
CBにコンバートされたのはこの時のようです。


また2006-07年閉幕シーズン決勝シリーズ準決勝のUSAC戦を見た
ロドリーゴ・ケントンは、ラリンをU-23に招集。
U-23代表でもレギュラーでCBを任されるようになりますが、
元はFWだったラリン、しっかり2ゴールも決めていたりします。
(1つはホンジュラスとの親善試合、もう1つが前述のコスタリカ戦)
「コスタリカ戦でのゴールは、人生最高の瞬間だった。
 両手を挙げて祝い、子どもの頃と両親のことを思った。」


「経済的な面はあまり重要とは思ってないけれど、お金があれば嬉しいね。
 そしたら家を買って、誰かに貸すんだ。
 そしたら父ももうあまり働かなくていいからね」。
などとほろりとさせてくれる発言もあるラリンちゃん。
彼の母ディオス・ダ・エリサベスは、
ウィルソン少年が子どもの頃アメリカへ出かけ、
彼が19歳になった時に戻ってきたんだそうです。
というわけで、父となり母となってウィルソンと姉(妹?)を育ててきたのが
父のクレメンテ。
お父ちゃん思いな、好青年ですよねぇ~。


サッカー仲間では、同じくスチテペケスでプレーする
カルロス・カスティーヨが親友。
彼が恩師と呼ぶのは、ロドリーゴ・ケントンとガビーノ・ロマンの両監督だとか。
まだまだ成長を続け、
将来のグアテマラサッカーを担って欲しい選手の一人です。


ネタ元です Prensa Libre


*タグ/ウィルソン・ラリン(選手)

コメント

毎度、詳しい情報ありがとうございます。

サッカー一家でトントン拍子に出世街道を歩んだかと思いきや、
意外にも苦労人だったのですね。しかもFWだったとは。

まだスチでは控えのようですが、あの体格と高さは
グアテマラでは貴重ですから、早くレギュラーを取って
世界の舞台で活躍してほしいですね。

>SHEさん

お母さんがアメリカに出稼ぎ(多分)!
というのはちょっと驚きでした。
お父さんがサッカーじゃ食えなかった、ってことなんでしょうけれど。

でも息子の活躍を一番喜んでいるのもまた
お父さんでしょうね。

「お父さんのために家を買いたい」ってコメントには、じ~んときました。

重ね合わせたのではないですか?お子さんの言葉と。

立派な言葉に感銘を受けると同時に自分にとっては耳の痛い
言葉でもありますなぁ・・・。

ばれたか・・・

>SHEさん

実際、小僧が同じことを言ってたよなぁ~、
と思い出したのでありましたe-514

逆の立場になってみれば、
私にとっても耳の痛い言葉であったりしますが・・・・・・e-263

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