ノリエガと言えば? 

またしてもどうでもいい与太話なのですが。


以前からクリスティアン・ノリエガって誰かに似てるよな、
って思ってたんですが、やっと判明。
Súper EstrikasのShakesだ!!!


クリスティアン・ノリエガ

daylifeの写真をお借りしています。
U-20W杯予選のパナマ戦の写真。
クリスティアン、19歳。まだまだ初々しいですな。
あ、右側の人ですよ、念のため。


オリンピック予選のものだと、US PRESSWIREにホンジュラス戦(TT)の写真が。
この1年でたくましくなったよな〜、という感じのする写真ではあります。


さて。一方のShakesさんは、FCスーペル・エストライカスってクラブに所属。

Shakes


え〜、凛々しい肖像は同クラブのサイトからお借りしております。


似てません?
いや、まじ、そっくりだと思いますよ、私・・・。


このスーパーエストライカスって漫画、中米で連載されているようです。
グアテマラではSiglo XXIという新聞で
毎週金曜日に掲載または別冊本がついてきます。
スーパープレーやらスーパーシュートが満載のぶっ飛びサッカーで、
シェイクスはもちろんストライカー。
まあでも、勝ったり負けたり、ハプニングありで、
小僧はそれなりに楽しみにしているようです。



で、その小僧に「似てるよね?」って言ってみました。


小僧の答えは
「ははは〜」。


それ、私の言う通り、って意味だよね?


*タグ/クリスティアン・ノリエガ(選手)

ウィルソン・ラリン 

シーズンオフの間にやってまえ!の選手紹介シリーズ、
今回は、このシーズンからスチテペケスでCBとしてプレー、
U-23代表でもCBとして活躍したのみならず、
北京オリンピック中米予選のコスタリカ戦では先制ゴールも決めた
ウィルソン・クレメンテ・ラリン・サルバティエラ(Wilson Clemente Lalín Salvatierra)です。


出身はレタルレウ県レタルレウ市のカントン・パシャクで、
1985年5月3日生まれ。


父親のクレメンテ・ラリンは80年代にスチテペケス、
後にフベントゥ・レタルテカ(Juventud Retalteca、2部)でプレーしたことのある選手。
母方では、叔父のエドゥアルド・サルバティエラがレタルテカのMF、
同じく叔父のフランシスコ・サルバティエラもレタルテカのDFだったりと、
結構なサッカー一族の家系なのでありました。


とは言え。プロ選手になるまでの道は容易ではなかったようで。
9歳の頃、地元のスタジアムでレタルテカの試合がある時に球拾いなどしてたそうです。
その頃から夢は将来プロのサッカー選手になること。
「シェラフかスチテペケスでプレーできるといいな、と思ってた」。


そんなウィルソン少年が通りで球蹴りしているのを見て、
スカウトしたのがセグンダ(3部)のデポルティーボ・マキナのシレール監督。
これがどうやら2003年のことらしい。
マキナではFWとしてプレー、2004年にはセグンダの得点王にもなっています。


その活躍がプリメーラ(2部)のフベントゥ・レタルテカの
オルランド・ペラルタ監督の目に留まり、レタルテカに移籍。
CBにコンバートされたのはこの時のようです。


また2006-07年閉幕シーズン決勝シリーズ準決勝のUSAC戦を見た
ロドリーゴ・ケントンは、ラリンをU-23に招集。
U-23代表でもレギュラーでCBを任されるようになりますが、
元はFWだったラリン、しっかり2ゴールも決めていたりします。
(1つはホンジュラスとの親善試合、もう1つが前述のコスタリカ戦)
「コスタリカ戦でのゴールは、人生最高の瞬間だった。
 両手を挙げて祝い、子どもの頃と両親のことを思った。」


「経済的な面はあまり重要とは思ってないけれど、お金があれば嬉しいね。
 そしたら家を買って、誰かに貸すんだ。
 そしたら父ももうあまり働かなくていいからね」。
などとほろりとさせてくれる発言もあるラリンちゃん。
彼の母ディオス・ダ・エリサベスは、
ウィルソン少年が子どもの頃アメリカへ出かけ、
彼が19歳になった時に戻ってきたんだそうです。
というわけで、父となり母となってウィルソンと姉(妹?)を育ててきたのが
父のクレメンテ。
お父ちゃん思いな、好青年ですよねぇ〜。


サッカー仲間では、同じくスチテペケスでプレーする
カルロス・カスティーヨが親友。
彼が恩師と呼ぶのは、ロドリーゴ・ケントンとガビーノ・ロマンの両監督だとか。
まだまだ成長を続け、
将来のグアテマラサッカーを担って欲しい選手の一人です。


ネタ元です Prensa Libre


*タグ/ウィルソン・ラリン(選手)

ダニー・オルティスのこと 

選手のことなども取り上げてみたいなぁ〜、と思いながら
時間のないままだったのですが、
やっとこさ少し余裕が出来てきたので念願の選手紹介シリーズ。


そのトップバッターは、今は亡きダニー・オルティス
元気でいれば、今も代表のゴールマウスを守っていたかもしれない選手、でした。


ホスエ・ダニー・オルティス・マルドナード(Josué Dany Ortiz Maldonado)は
1976年7月26日ケツァルテナンゴ県コアテペケ市で出生。
スチテペケスでプロデビュー、コアテペケ、カルチャを経て
2001-02年の開幕シーズンよりクレマでプレー。
当時はエドガル・エストラダが第1GKとしてクレマでプレーしていたため、
あまり出場機会はなかったようですが、
翌シーズン、ガト・エストラダのロホスへの移籍の後は
ゴールマウスを守るようになりました。


2002-03年の開幕シーズン前に、
そのガト・エストラダと交換トレード?でロホスに移籍。
ちょっとプレーが軽いとか不安定とか言われながらも、
パウロ・セサル・モッタと競い合い、第1GKの座をゲットします。


2004年2月29日11時。
この日、マテオ・フローレスではロホス−クレマのクラシコが行われました。
早い時間にジョニー・クベロ(クレマ)がゴールを決め、
23分にはクリスティアン・チャパーロ(ロホス)がレッドをもらい、
39分にはセルヒオ・モラレス(クレマ)が追加点を決め、
前半で既に勝負あったかのような試合でした。


そして78分。
マリオ・ロドリゲス(クレマ)がゴールに襲い掛かってきたのを止めようとして、
オルティスが飛び出し、ロドリゲスと衝突。
オルティスは胸を強打し、意識不明の状態で病院に運ばれます。
一旦は意識を回復したものの、内出血の発見が遅れたため、
15:35、病院で息を引き取ったのでした。享年27歳。


Dany Ortiz

代表では2001年2月のパナマ戦でデビュー。11キャップ。
2003-04年の開幕シーズンをロホスで優勝。


ダニーが亡くなった年の閉幕シーズン、
ロホスはリーグ戦をトップで通過しますが、
決勝シリーズではコバンに負けて準優勝。
でもその翌シーズンより、破竹のリーグ5連勝を実現しています。


これは余談ですが、ダニーの亡くなった後、
マリオ・ロドリゲスは脅迫電話を受けたり、
スタジアムでも大変なブーイングを受けたりと、
かなり大変な目にあっておりました。
ですから、このシーズンが終わった後、
ムニシパルに移籍した時には皆仰天したものでしたが・・・・・・、
ダニーの分まで頑張ってくれよ、ロコ。


彼の死後、最優秀GKに贈られる賞は、
「ホスエ・ダニー・オルティス賞」と呼ばれるようになっています。


不運な事故ではありましたが、
救急隊員がケアーするまでのタイミングが遅れたこと、
大量の内出血が見逃されてしまったこと、などを踏まえ、
試合で起こる事故・怪我に対する処置が見直されるようになってはいます。


サッカーに怪我は付き物。
であるからこそ、このような不幸な事故が二度と起こらないよう
万全の体勢を取ってほしいと、切に願うものではあります。


*タグ/ダニー・オルティス(選手) マリオ・ロドリゲス(選手)

三段跳びからサッカーへ マクスウェル・アルバレス 

マルケンセのFW、マクスウェル・アルバレス君。
この選手のことが少し頭に残っていたのは、
「陸上では食べていけないからサッカーに転身した」
という記事を読んだことがあったからなのですが。
ちなみに彼、将来をものすご〜く期待されていた、三段跳びと幅跳びの選手でした。


新聞をあちこち捜してやっとこさ見つけました(こちらの記事)。
今年3月のインタビュー記事です。


2006年7月の中米カリブ大会から帰ってきて、数日間休暇を取ったら
コーチが僕のことを悪く言っているのを聞いてがっかりした。


陸上連盟からは何の支援もなくて、
必要な用具は兄さんたちに買ってもらっていた。
唯一、オリンピック委員会から毎月Q1800の奨学金を受けていたけれど、
これだけでは全然足りなかった。
(注:これ以外にも陸上連盟から奨学金があったらしいのだけれど、金額は不明。
 支払いはいつも遅れていたらしい)
だから、子どもの頃から好きだったサッカーに戻ることにした。


マルケンセと契約して数日後に、
連盟からアメリカ行きの奨学金の話があったけれど
オリンピック委員会にはもう陸上に戻るつもりはないと返事した。


マルケンセを選んだのは、義理の兄であるカルロス・キニョーネスがいたから。
3ヶ月前にクラブにつれてきてくれて、エスペシアルでテストを受けた。
子どもの頃から、ずーっとGKだったんだけれど、
イラリオ・イダルゴ監督は、僕にはFWが向いていると言った。


クラブでは今まで受けたこともないような待遇を受けているよ。
オリンピック委員会の奨学金とは比較にならない給料とか
食事とか、ユニフォームとか、住むところとかね。
マルケンセにはもうすごい愛着を感じてるよ。


2007年の閉幕シーズンのペタパ戦に後半から入ってリーグにデビューもした。
パコ・メルガル監督は、僕をFWとして入れるから、動き回れと言われた。
試合は2-3で負けたけれど、最初のゴールを記録することができたし。


今までのところ、リーグでプレーしたのは8試合で、2試合が途中から。
得点は3、ペタパ、ハラパ、サカパ相手にゴールを決めることができた。
唯一の問題は、僕は暑いところの出身だから、すぐ疲れちゃうんだよね。
(注:サン・マルコスが高地にあるから、という意味?)
でもそれにも慣れてきたよ。


子どもの頃からフロレンシオ・マルティネスとかマルビン・アビラと一緒に
イサバル県の代表チームにいたから、そのうち代表にもなりたいね。

と本人的にはサッカーをすることにとても満足しているらしい。


一方、不満なのが陸上関係者。
陸上連盟会長のフアン・デ・ディオス・レイエスさん。
「なんで陸上を辞めてしまったのかわからないね。
 彼への奨学金がきちんと払われていたかどうかは知らない。
 連盟から説得に当たったけれど、なんでサッカーに行ってしまったのかわからない」。


レイエスさんによると、マックス君から「奨学金上げてちょうだい」という要請があったので
金額の引き上げを検討していたところだとか。
「奨学金を引き上げたら戻ってきてくれる、って言うんなら、
 ちゃんとした生活ができるくらいの経費は賄ってやる用意がある。
 でもそうじゃないんだったら残念なことだ。
 今まで彼につぎこんだ金は全部ムダだったってことだからな」。


ちなみにレイエスさんによりますと、
マックス君がグアテマラの幅跳びかな?の記録を塗り替えた時、
賞金として$2000を支給したんだそうです。さて高いのか、安いのか、この金額。


もう一人、え〜と、陸上のグアテマラ代表クラスの選手のコーチ、カルロス・イリアルテさん。
「こりゃあもう犯罪だよ。
 彼のような才能があり、将来を約束された選手がいなくなってしまうなんて。
 マクスウェルは金のために、陸上以外のものを探さないといけなかった。
 何年もかけて育ててきた才能が失われてしまったなんて、許されないことだ。
 もし彼が続けていたら、三段跳びでは18m、幅跳びでは8mを飛んでいたのは間違いないのに」。


陸上関係者のヘラルド・アレン・ロウエさん。
「グアテマラだけじゃなくて、中米ならどこにもで起こりうることだ。
 オリンピック委員会は、オリンピックでメダルを取ることのできる選手に
 もうちょっと注意を払ってほしいね。
 Q1800なんて、今時大した金額じゃない。 彼だって生活しなきゃいけないんだから。
 でも考え直して、陸上に戻ってきてほしいよ」。


大人の思惑は様々あるわけですが・・・。とりあえず本人は、満足しているようではあります。

Maxwell Alexander Norberto Alvarez
生年月日: 1987年11月3日
出身地: イサバル県リビングストン
サッカー歴:
 9歳〜11歳の頃、プレーしてた。
 97年にはイサバル県代表のGKとしてプレーし、全国大会で優勝したことがある。
陸上歴:
 14歳で陸上を始める。
 幅跳びと三段跳びのグアテマラ記録保持者。
 カナダのユース世界選手権で11位、
 プエルト・リコで行われたイベロアメリカ大会では5位の成績を残している。
長所:
 リアクションに優れている
 空中戦に強い
 跳躍力があり、脚力に優れている
 ボールの扱いが上手い
短所:
 ヘディングが下手
 ポジショニング
 持久力
 自信を持つ必要がある


*タグ/マクスウェル・アルバレス(選手)

今シーズンの成長株:ジミー・オサエタ 

クレマ戦で決勝ゴールを決めたジミー・オサエタのインタビュー記事があったので、
こちらにもアップ。
ネタ元はこっち http://www.prensalibre.com/pl/2007/octubre/09/184576.html



ハラパでは、今、どんな感じだい?
満足してるよ。
得点できたからだけじゃなくって、自分自身が今いい時を過ごしているからね。
まじめな話、自分のプレーを新たに見つけられたと思ってるし、
いいプレーができていることがものすごく嬉しい。


今シーズンの目標は何かな?
優勝すること。個人的にはサッカー選手として成長することかな。
もっと長い時間プレーできれば、目的を達成できるかもしれないね。


土曜日のゴールは重要なものだね。なんといってもクレマ相手に得点したんだから。
もちろん。でも、昨シーズンはムニシパル相手にも得点してるよ。
ハラパでは3得点だけれど、もっともっと得点したいね。


試合終了後、監督に何か言われたかい?
監督はチームの状態に満足してるし、自分の仕事ぶりにも満足してくれてる。
プロフェ・ゴンサレスは、自分にはいつも諦めるな、と言うんだ。


家族も喜んでるかな。
自分を一番支えてくれているのはやっぱり家族だからね。神様と同様、自分の支えだよ。



プロフィール

  • 1985年1月26日生まれ。
  • ムニシパルのインフェリオール・カテゴリーでプレーしてた。
  • 2006年にハラパに移籍。デビュー戦は2006年8月20日のムニシパル戦。
  • U-17, U-20, U-21の各代表に召集されたことがある。



*タグ/ジミー・オサエタ(選手)

選手紹介 カルロス・ペスカド・ルイス 

グアテマラ・サッカーの現在のスターといえば、
幸か不幸かカルロス・ペスカド・ルイス

幸というのは、とりあえずスターがいること。
不幸というのは、ペスカドくらいしかスターがいないこと・・・・・・。

  • 本名:カルロス・ウンベルト・ルイス・グティエレス (Carlos Humberto Ruiz Gutiérrez)

  • あだな:ペスカド (Pescado、魚の意)
    アメリカに行ってからはFishというのも加わった。ま、同じですが・・・。
    なぜにペスカドかと言いますと、写真をご覧下さい。真中がペスカド。ほら、何かに似てません?

  • 生年月日:1979年9月15日(未年の乙女座)
    あら、魚座じゃなかったのね。
    まったくどうでもいいんですけれど、なぜかウチの代表のFWは乙女座ばかりです。
    ペスカド、ロコ・ロドリゲス(9月14日)、タンケ・ペッサロッシ(9月4日)。
    乙女座の男性というのは容姿的には○○な人たちばかりなんでしょうか。
    ちなみに、ウチの小僧はペッサロッシと誕生日が同じ。乙女座です。
    ああ、将来が・・・・・・。

  • 身長:175cm

  • 所属チーム: FC Dallas (MLS)

  • 背番号: 20

  • 略歴:12歳の時からムニシパルのカンテラでプレー。
    1995年16歳でトップチームに上がった。最初にプレーした相手はシェラフ。

    2000年、ギリシアのPAS Loaninaにレンタル移籍。
    6ヶ月間在籍した。4試合に出場したものの0ゴール。
    2001年1月、ムニシパルに戻る。

    2001-2002年シーズンは引き続きムニシパルでプレー。
    この年、ロホスはUNCAF杯のチャンピオンとなる。

    2002年、MLSのLAギャラクシーに移籍。
    26試合に出場、リーグ最多の24ゴールを決め、ゴールデンブーツ獲得。
    ギャラクシーの初優勝にも貢献した上、MVPにも選出される。
    ペスカドが一番良かった年。

    2003年、26試合に出場、15ゴール。
    テイラー・トゥエルマンと共にゴールデンブーツ獲得。
    MLSのペストイレブンにも選出される。

    2004年は更に成績が下がって11ゴール。

    2005年、ランドン・ドノバンがギャラクシーに移籍。
    おかげでペスカドはギャラクシーから追い出され、FCダラスに引き取られた。
    ちょっと踏ん張って11ゴール。

    2006年、ダラスに完全移籍。
    それまで、ルイスの所有権(の一部、多分)はムニシパルに残っていた。
    この年3月のDC United戦で決めたオーバーヘッドシュートは、
    この年のベストゴールに選ばれている。

  • その他なんでも:
    ペスカドは今年ダラスのキャプテンになっちゃいました。
    ついでに代表戦でもグアテマラ最多タイの35ゴール目をやっとこさ決めちゃいました。
    最近はぱっとしないペスカドではありますが、
    そろそろW杯予選に向けて調整(え??)していってほしいところ。


*タグ/プレーヤー(プロフィール) ペスカド・ルイス(選手)